次の100年の街づくりを瞑想

東京に住んでいる方であれば誰もが憧れる街、田園調布


田園都市株式会社の創業者である渋沢栄一氏とその子息である秀雄氏が、洗足、大岡山、田園調布に街を作り100年以上経過した。この地の開発の歴史的背景には、江戸時代以来の東京の中心地が、火事や災害に対して脆弱だったことが挙げられている。
そこには、昨今、よく耳にする、密から疎、一極集中から地方分散へのヒントがあるのでは、、、。
渋沢親子の日本型田園都市開発は、イギリスのハワードの「田園都市論」や、秀雄氏が欧米11カ国の郊外住宅を訪問し学んだものに、電車を使って都心に通勤するという概念を加えたものだそうです。


その概念は、以下の7項目
1 土地高燥にして大気清純なること
2 地質良好にして樹木多きこと
3 面積少なくとも十万坪(約33万平米)を有すること
4 一時間以内に都会の中心地に到着し得べき交通機関を有すること
5 電信、電話、電燈、ガス、水道など完整させること
6 病院、学校、倶楽部などの設備あること
7 消費組合の如き社会的施設も有すること


なるほど、当時としては一大事業であったことが窺える。


それから100年以上経過し、人口の急増と相まって、田園都市もまた都心と一体化した姿へと変貌した。
一方、その中で、田園調布は当時の街並みを維持するがために、土地の分割売買を禁じ、結果として庶民には足を踏み入れ難い街としての印象を与えた。それがゆえに、今では街の活気が失われていくとも言われ出した。


さて、この先100年以上にわたり持続可能な街づくりはどうあるべきか。これまでの歴史を振り返り、社会が進展してきた現在から、さらにその先を瞑想し、新たな概念をつくり上げる必要がある。


まあ、個人的には、都会暮らしと地方暮らしを周期的に繰り返すのが良いのではと考える。ど田舎で生まれ育ち、都会生活が長い、私としては、どちらも捨て難い、いや、むしろ多くの方々も人生においてその何れも満喫すべきであると考える。
その周期も、週や月単位というのもあるだろうし、年、あるいは数十年単位というのもありだろう。多様化は多いにありだと思う。

都市と地方を融和した社会を、多くの企業が社員と共に創造する、そして、国、自治体がそれを支援する。
このような分散、多様な生活、社会を、現在の、そしてこれからさらに進化するであろうデジタル化は十分にサポートできると思う。是非、瞑想を続けたい!