「相関関係」vs「因果関係」問答

前回のブログは、「虫とゴリラ」(毎日新聞出版社)を読み、その中で、個人的なメモ帳として書かせてもらった。
その著者である、京都大学総長の山極寿一さんは、ある番組でこんな事を言っていた。
「今のデジタル化社会で起こっていることはほぼほぼ、相関関係であり、何故という因果関係まで読み解いていない。自然科学は、何故という質問にはなかなか答えられない、因果関係まで読み解かないと腹落ちしない。一方、人文・社会科学は因果関係を紐解いてきた。歴史、宗教、哲学は因果関係である。我々はそういうものによって生きてきたが、今は自然科学による相関関係が実証性が高いから、相関関係により世の中を実証するようになってきている。
自然科学と人文・社会科学は一緒にやっていく必要がある。」


ウィキペディアで自然科学を調べたところ、自然科学において取り扱う対象は、大きくは宇宙から小さくは素粒子の世界まで含まれる。生物やその生息環境も対象となっており、そこには生物としてのヒトも含んでいる。だが、人間が作り出した文化や社会(芸術、文学、法律、規範、倫理等々)に関しては自然科学が扱っておらず、それらの領域は主に人文科学、社会科学のほうが扱っている。
「自然科学」という語は、狭義には、物理学、化学、生物学、地球科学、天文学など自然科学全体の基礎となる理論的研究をする部門を指し、これを理学とも呼ぶが、広義には、医学、農学、工学などの「応用科学」と呼ばれる分野を含むのだそうだ。


話は変わって、「サピエンス全史」、「ホモ・デウス」、そして「21Lessons」を世の中に贈った、ユヴァル・ノア・ハラリは、7万年前、異なる人類種の中で、唯一、ホモ・サピエンスが、「言語」を取得し進化したと表し、これを「認知革命」と呼んでいる。
ネアンデルタール人、ホモ・フローレシエンシスなどは絶滅し、ホモ・サピエンスが唯一の人類となった。
その後、1万2千年前には、農業革命が起こり、それまでの狩猟による移住生活から定住生活へと移り、人口が急増していく。そして、5千年前には、最初の王国、貨幣、さらにはギリシャ神話、ローマ神話といった多神教が生まれていった。言語を持った認知革命の中で、人類はさらなる進化を遂げたのである。
ところで、無名有名を問わずおびただしい数の人々が関わってきたとされる数学、その歴史は5千年とも言われている。「数とは何か」を定義するという人類初の試みが行われたのは、古代ギリシャ時代である。この定義はそのころ編纂された「原論」という数学書に登場する。「原論」は紀元前300年ごろユークリッド(レウクレイデス)によってまとめられた。主として平面幾何学と数論に関する数学書である。
国立情報学研究所教授で、2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」を主導している新井紀子教授の著書に「数学は言葉」(東京図書)がある。「ややこしい数式や記号も結局のところ、誰かとわかり合うための言葉」なんだ、と。
小中学校からはじめる理科や社会では、最初に定義があるのではなく、いくつかの例の特徴を定義としてまとめている、それに対して、数学では例が出てくる前にまずは定義である。数学の文の語尾には、「〜という」、「〜である」がやたらとあらわれる。これは、「〜であろう」、や「〜かもしれない」といった語尾が頻出する他の科目との明らかな違いである。「〜という」は、新しい語を導入し、その意味を確定するために用いる語尾である。数学はまさに、まどろっこしいまでに厳密性を追求する「定義」と「証明」というスタイルによってもたらされたということである。それが故に、数学は科学全般の共通言語となり、数学の発展が科学の発展に大きく寄与してきた。
「サピエンス全史」で言われる「認知革命」、「農業革命」に続く500年前の「科学革命」、「資本主義」、さらに200年前の「産業革命」は数学という第2の言語を基礎とした科学の発展と言える。
ハラリ氏の著書に従ってもう少し話を進めていく。
「サピエンス全史」で人類の過去を表し、「ホモ・デウス」では、これから我々人類はどうなっていくのか、という未来をまとめあげた。ホモ・デウス、ホモ=ヒト、デウス=神様、つまり人類は神になる、という。人類は歴史上、3つの害悪と闘ってきた。それは飢餓、疫病、戦争であり、これらを克服した現代社会は、人間至上主義と言える。そして、科学のさらなる発展は、データ至上主義を作り上げようとしている。「ホモ・デウス」で表された結論とは、今は、人間が神様。さらに将来はデータ・アルゴリズムを扱う、ごく少数の人間がホモ・デウスになる。データ・アルゴリズムによりあなたはこうしなさい、と言われる、残りの人類は、管理される家畜になる。つまり、データ・アルゴリズムを操作する勝ち組のホモ・デウスと、アルゴリズムの通り行動する家畜のような人間に分断されると言うのである。
そんな将来に対し、今何をすべきかを問いただしたのが、「21Lessons」である。言いかえれば、家畜にならないための、21のポイントである。
その中で、2つ挙げるならば、「物語に生きるな」、「自分を見つめろ」である。
「サピエンス全史」でハラリ氏は、認知革命により人類は虚構(フィクション)を作ることができるようになった。王国も貨幣も多神教もフィクションの賜物であると断言している。何故なら、貨幣は、全員が信用しているから使える、国家は、人が作ったストーリーである。宗教、それは神話を信じる事でチーム化する。人類はフィクションを信じて生きてきた、その結果、宗教・資本主義が流行した。我々は最もらしい物語が大好きなのである、とハラリ氏は言う。
生きている意味は?、何をすべき?など自ら問い直すべきであると言う。
もう一つは、自分を観察しろ、ということである。ハラリ氏は自分の観察に必要なものとして、「瞑想」をあげている。彼はユダヤ人であるが、宗教感はなく、インド発祥の「ヴィパッサナー瞑想」により自分を見つめるという。呼吸だけに集中して、毎日2時間瞑想するらしい。瞑想により、一瞬と一瞬の間を理解する、真理・真実を理解できる、という。


ここまで話を進めてきたが、それでは、これからのデジタル化社会をどう作り上げていくか?、デジタルを何に活用していくべきか?


ハラリ氏は「サピエンス全史」の中で、人類は、飢餓、疫病、戦争の3つの害悪を克服したとしているが、個人的には、コロナもあり、以下に例示するよう、いまだに克服できていないと思う。
飢餓 → 自然災害 環境問題、台風・水害、地震、火災等
疫病 → コロナ
戦争 → 米中などの貿易戦争


例えば、気候や気象関係の自然災害は、1980年合計222件から40年後の2019年合計760件へと3倍以上に増加しているという。地球温暖化についても、100年あたり0.74℃ペースで上昇し続けているという。
確かに日本は古くから、自然災害、疫病との闘いの歴史を歩んできた。その一方で、自然に恵まれ、自然と調和した豊かな社会を築いてきた。衣食住文化の伝承などもそうである。
科学の発展では、新たな健康維持の発見、開拓も期待したい。
デジタル化社会では、先ずはこれらを支援することが何よりも大事であると考える。
そこには前提がある。グローバル資本主義経済の中で、我々が学んだことは、大量消費が環境問題、格差を生み出し、そしてスピードが様々な規模の限界を超えているということである。これらとの対峙もまた重要なのではと考える。


山極先生はデジタル化社会は進むべき道であるとする一方で、以下のデジタル社会の危機も進言している。


-----デジタル社会の危機------
・物と人の情報化と均質化
・産業と環境の超スマート化
人工知能による人間の評価と選別
・遺伝子編集と生物工学
・経済的、社会的、生物学的格差の増大
・地球の許容力の限界値を超える破壊


自然科学は、失敗することが前提であり、その失敗から学んで次に行く。あくまでも、今我々にできる最善のことを追求しているであり、一方で必ず誤謬がある。前提誤謬もあればモデリング誤謬もある。
テクノロジーはより一層発展していくが、その究極の目的は、先ずは人と地球を健康にするために使うべきではないかと思う。人だけが健康になればいいっていう話ではなく、生きるもの全てが健康である必要がある。人間は多様性であることによって生きてきていることも忘れてはいけない。
「自然科学と人文・社会科学は一緒にやっていく必要がある」、少しは分かったような気がする。
いずれにせよ、これからの社会、これまでもそうであったように不確実性時代は続く。その中で、危機の状況把握、リスクマネジメント、さらには今後の科学の発展を自身にて正しく理解するとともに、自己の価値感を見出していくことが何よりも重要な気がする。

 

 


9月以降のブログにおいて、「この国のかたち」物語の想像、「虫とゴリラ」、そして「相関関係vs因果関係問答」と進めてきたが、次回は、いよいよ今後の社会を具体化します。
国土強靭化、財政問題MMT、さらにはデジタル通貨、ネクスト・テクノロジー、インダストリーと続けます。
ホントかなっ(笑)、考えが纏まらなかったら、ごめんなさい🙏