世の中を観察する「テクノロジーが予測する未来」

前回の「メタバースとweb3」に続き、今回はこの本を読んでみた。

f:id:yukiishioka:20220613074001j:image

ちょっと長いが、以下は本書の抜粋

web3、メタバース、NFTで世界はこうなる
・web3の重要なインフラは、「ブロックチェーン」という技術です。
アプリケーションレイヤーが強かった頃は、ある1つのプラットフォーム上で構築したネットワークや、ある1つのプラットフォーム上で行った取引を、それ以外のプラットフォームに持ち出すことは基本的にできませんでした。 たとえばSNSの場合、FacebookではFacebookのアカウント、TwitterではTwitterのアカウントというようにSNSごとにアカウントを開設し、誰かをフォローしたり誰かにフォローされたりというネットワークを築きますが、そのネットワークを別のSNSに持ち出すことはできません。自分のネットワークであるにもかかわらず、それは自分の所有物ではなくプラットフォームの所有物だからです。 しかしweb3では、自分の取引記録となるトークン、たとえば所有しているデジタルアートのNFTなどは、すべてブロックチェーンに記録されます。あくまでもインフラであるブロックチェーンはどこのアプリケーションの所有物でもありませんから、アプリケーションの縛りなく、そのデジタルアートをどこへでも持ち出せます。
・ここで特に日本に特異的な事情として触れておかなければならないのは、クリプトエコノミー(暗号資産(クリプト=仮想通貨、トークン)による経済圏)に流入した資金が、なかなかフィアットエコノミー(法定通貨による経済圏)に戻ってこなくなっていることです。 なぜかというと、暗号資産を法定通貨に戻す際に、暗号資産取引所の手数料がかかるうえに、フィアットエコノミーに戻った資金には最大55%の税金がかかるからです。株式投資による収入にかかる税金は最大20・315%であることを比べると、暗号資産には重税が課せられているといえます。
・皆さんにぜひ知っておいてもらいたいのが、「コミュニティ」が重きをなすというweb3の特性です。通貨的/証券的ファンジブルトークンとNFTが行き交うweb3とは、「コミュニティありき」の思想的背景を持つイーサリアムがあって初めて成立しているといっていいでしょう。
・web3は、オンライン上で仮想通貨やトークンをやりとりしているというのも大きな特徴です。したがって、オンライン上でのコミュニケーションを前提として、何らかの価値の交換が行われている空間というのが、メタバースの姿としてふさわしいと思います。


働き方
・web3では、個人の働き方は「組織ベース」ではなく「プロジェクトベース」になっていきます。 その主体は「DAO」です。DAOは会社組織ではなく、プロジェクトごとに立ち上げられるので、個人は、自分が興味を持ち、貢献できそうなDAOを見つけるごとに「参加する」というかたちで働いていくことになります。
だんだんと会社員の副業・兼業が解禁され、「パラレルキャリア」といった言葉もよく聞かれるようになっている昨今ですが、DAOで働くようになったら、もはや「本業・副業」という概念すらなくなるでしょう。
・ただ仲間が集って何かを一緒にやろうとしている(たとえば学園祭のように)のではなく、トークンのやりとりを通じて何かを生み出すように機能するコミュニティであることが、DAOのいちばんの鍵です。


文化
ブロックチェーンは、取引ごとに情報のブロックを作成し、そのブロックたちをチェーンでつないでトランザクション履歴を記録するという仕組みになっています。 すべての履歴が連なっており、しかも誰でもチェックできるという透明性があるため、そのうち1つの取引情報だけを改竄するのは事実上不可能。というわけで、このブロックチェーンが、ビットコインイーサリアムなど「通貨として使われる」という、もっとも高いセキュリティが求められる仕組みを技術的に担保しているのです。 このように、もとは取引履歴を記録する仕組みとして生まれたブロックチェーンの技術を使って、デジタルデータが「本物かどうか」「誰のものか」などを証明するようにしたものがNFTです。
・また、NFTは従来の大量生産・大量消費型の産業構造を覆す可能性もあります。 そもそも、世界に1つしかないモノをひとりの人間に届けるのは、非常に非効率的です。ならば大企業が大量に同じものをつくって、いっぺんに大勢に届けたほうが合理的──というわけで大量生産・大量消費型の産業構造がこれまで長く続いてきました。
しかしNFTは大量生産・大量消費のモノではありません。ブロックチェーン技術によって「世界に1つしかない、複製不可能なデジタルデータ」が可能になったからです。 時代は確実に移り変わっており、いまは「モノとのリレーション=強固なつながり」が、より重視されるようになっていると感じます。「皆が同じものを同じように所有する」というのは、すでに古い価値観になりつつある。NFTは、その風潮にもぴったりはまった感があるのです。あるいはNFTの誕生が、その風潮を加速させていると見てもいいかもしれません。
・しかし現実には、貨幣価値に落とし込めないもの、お金で買えないものが、僕たちの周りにはたくさんあります。人の思いや情熱、あるいは時間的経過などという文脈が宿っているものです。 そういうものを文脈ごとトークン化できるNFTは、いままでずっと貨幣経済だけでやってきた既存社会に現れたまったく別種の価値の表現法です。いままで取りこぼされてきた非金銭的な価値も、この新しいテクノロジーによって、もっとうまく表現できるようになっていくでしょう。


アイデンティティ
メタバースには重要なキーワードがあります。それは「多様性」です。「ここはFacebook」「ここはTwitter」といったプラットフォームごとの分断がなく、オンライン上のさまざまなコミュニケーション空間が一緒になって「超=メタ」な「1つの世界=バース」を形成しているというのがメタバースの概念です。したがって空間と空間の行き来は自由で、なおかつ誰もが等しく参加できなくてはいけません。


教育
・いまの教育は、1つの課程を終えて修了証書を受け取ったら、基本的におしまいです。しかも専門職でない限り、自分が学んできたことを仕事の場面でシェアする機会は、ほとんどないでしょう。学びと仕事(稼ぐこと)が分断されてしまっているのです。 本来は、「学び」と「仕事」と「遊び」の3つが一体になっているのが理想的です。というのも、「遊び」がない「学び」や、「遊び」のない「仕事」は、モチベーションとクリエイティビティに何かしらの問題があることが多いのです。現代の様々な問題は、こうしたことに起因するのではないでしょうか。
・web3、「参加型」の学びとは、ひとことでいえば他者とのコラボレーションです。第一に知識を取得し、第二に取得した知識を使って発信し、そして最終的には、第一、第二の経験を踏まえて人と協力し、何かを生み出していくということです。ここで学びの一体化が起こるわけです。 しかし、このweb3的な学びには情熱が必要です。自分から何かに取り組み、達成したいという情熱がなければ、他者とコラボレーションして何かを生み出すほうへと自分を動かすことはできません。 これは、とりわけ現代日本への問題提起になると思います。


すべてが激変する未来に、日本はどう備えるべきか
・Web2・0では、自分のネットワークがGoogleFacebookといったプラットフォームに紐づいていました。自分の持ち物であるはずなのに、自分の自由に扱えない。日本でweb3が浸透することは、海外の巨大企業の手に握られていた所有物(少し強い言葉を使えば搾取されていたもの)を、日本人が自分たちの手に取り戻すこと、ともいえます。 GAFAに代表される破壊的グローバル企業については、かねてより「一部の民間企業に世界が牛耳られる」などと警鐘を鳴らす向きもありました。web3の浸透は「支配的企業からの解放」という意味でも、民主化といえるわけです。
・いま、世界的に大きな関心事になっているのは「誰がweb3時代の覇者になるか」であり、僕は「マイクロソフト、Meta、Twitterソニー VS Bored Ape」の戦いになっていくと見ています。
・これから日本が行っていくべき変革とは、ドメスティックなものを、ただデジタル化するだけでなく、デジタル化を通じてグローバルな存在へと変えていくことだと思います。これを大きな目標とし、世界に照準を定めたゴール設定をすることが、日本再生の道を開く唯一の鍵だと考えます。
・日本にはいままでにも何度か、大きな社会変革がありました。なかでも大きかったのは明治維新と敗戦でしょう。明治維新ではアメリカという外圧をきっかけに、それまでの社会のかたちが根底から覆され、敗戦によって一面焼け野原からの再出発となりました。 どうやら日本という国は、何か抗えない力のため、社会がいったん御破算となってからの再建には長けているようです。しかし、途中で気づいて変えるということはあまりない。

・僕のいう「変革」に破壊的なニュアンスを感じ取っている人もいるかもしれませんが、それは真意ではありません。僕が目指したいのは、スクラップアンドビルド(壊してから再建する)ではなく、トランスフォーム(変容)です。もともとのかたちを壊すことなく、徐々に変えていくことです。
・社会のあらゆるレイヤーで非中央集権化が起こるweb3では、もはや富と権力を一箇所に集中させるというビジョンは古いものとなっていくでしょう。 国家というもっとも中央集権的な枠組みはなくならないにしても、社会の至るところで、個々が己の価値観や趣味嗜好、ライフスタイルに従い、思い思いのかたちで社会参加する。こうしたweb3的ビジョンのもとで、どういうゴールを設定し、社会を再構築していくか。 それは、僕たちひとりひとりに委ねられている。

-------

ということで2冊を読み終えたが、グローバル変革の前に先ずは日本がどのように変容していくべきか、そのために何をすべきか、さらに現れる課題にどう向き合うべきかについて考えてみた。

私が思い描く、デジタルニッポン2022を以下に示します。

 

f:id:yukiishioka:20220613075807p:image

f:id:yukiishioka:20220613075835p:image

f:id:yukiishioka:20220613075859p:image

f:id:yukiishioka:20220613075923p:image

f:id:yukiishioka:20220613075950p:image

f:id:yukiishioka:20220613080021p:image

f:id:yukiishioka:20220613080047p:image

f:id:yukiishioka:20220613080107p:image

f:id:yukiishioka:20220613083018p:image

f:id:yukiishioka:20220613080150p:image

f:id:yukiishioka:20220613080210p:image

f:id:yukiishioka:20220613080231p:image

f:id:yukiishioka:20220613080252p:image

f:id:yukiishioka:20220613080310p:image