「名こそ惜しけれ」の精神 -日本人とは何か-

 司馬遼太郎は、晩年、「この国のかたち」連載の中で、「名こそ惜しけれ」という考え方が日本人の倫理観の元になっていると述べている。「自分という存在にかけて、恥ずかしいことはできない」という意味であり、武士道として日本人のルーツとなり背景となる心の持ち方である。鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころとする“百姓“の政権でそれが誕生した。


今後の日本は世界に対して、いろいろなアクションを起こしたり、リアクションを受けたりする。その時、「名こそ惜しけれ」とさえ思えばよい。ヨーロッパで成立したキリスト教的な倫理体系に、このひとことで対抗できる。
立憲国家は、人々、個々の強い精神が必要なのです。私ども日本社会は武士道を土台としてその“義務“(公の意識)を育てたつもりでいた。しかし、戦後日本はまだまだできていません。
いまこそ、それをもっと強く持ち直して、さらに豊かな倫理に仕上げ、世界に対する日本人の姿勢を、あたらしいあり方の基本にすべきではないか。


日本の歴史において、いくつかの重要な形成期がある。武士が誕生した鎌倉時代、食、文化、芸能が一気に形作られた室町時代、そして明治維新。これまでの100年強の間、日本の良さ、豊かさが少しずつ変わっていったような気がします。それは何か?、場合によっては、もう一度、取り戻した方がよさそうなものがいくつもあるような気がする。
難しい気がしないでもないが、、何かやりたい、「原点回帰」!