「生物はなぜ死ぬのか」

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色んなことを考えさせられた本です、一気に2度読んだ初めての本、名著です!

今回もちょっと長いが以下は本書の抜粋

 

「この世の始まり」を見る方法
・宇宙は138億年ほど前に「ビッグバン」と呼ばれる大爆発から始まったと考えられています。その根拠の一つは、1929年にアメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが発見した宇宙の膨張です。 宇宙には無数の銀河がありますが、ハッブルが詳しく観測すると、宇宙のあらゆる方向で銀河が地球から遠ざかる動きをしていることがわかりました。この現象を説明するには、「宇宙が膨張している」と考えるほかありません。そして、宇宙が膨張する過程を遡ると、138億年前に宇宙は小指の先ほどの大きさに集約されるというのです。その小さな塊が大爆発して宇宙を形成し、現在もなお、膨張し続けているわけです。 たとえば10億光年(1光年は光が1年間に進む距離)離れた星が地球から観察できたとすると、それは、10億年前に発せられた光を見ていることになります。つまり10億年前のその星の光景を見ているのです。
ちなみに太陽から地球までは光の速さで8分19秒かかるので、地球から見る太陽は8分19秒前の姿です。現在観測できるもっとも遠くの星は2018年にハッブル宇宙望遠鏡が捉えたイカロスで、地球からの距離は90億光年です。さらにTMTで138億光年先が見えるとなると、それはまさにビッグバン直後の情景が見えるかもしれないというわけです。
※TMTとはThirty meter telescopeの略で、口径、つまり幅が30メートルもある巨大な望遠鏡だそうです。2005年からスタートしたプロジェクトで、それが近い将来完成するので、天文学者は今からワクワクしながら準備しているといいます。
天文学は物理学と関連性が高い自然科学の分野です。もっと言ってしまえば、天文学も物理学も化学も、生物学以外の自然科学はすべてビッグバンから始まった自然現象の研究で、根っこは同じです。生物学だけは、今のところ地球ができてからの話なので、かなり新参者の学問ということになりますね。自然科学の「若手のホープ」と言ったほうがいいでしょうか。


そもそも生物はなぜ誕生したのか
生命誕生までの最初の、そして最大の壁は「自己複製」の仕組みです。そもそも生物の定義の一つは、自身のコピーを作る、つまり子孫を作るということです。現在、多くの生物では、卵や精子に含まれる遺伝物質DNAが親から子へ受け継がれることで自己複製がなされますが、最初の生物は、遺伝物質そのものと言ってもいいくらいシンプルなものだったと考えられています。これによって、「ターンオーバー(生まれ変わり)」が可能となりました。
そしてその生まれ変わりを支えているのは、新しく生まれることとともに、綺麗に散ることです。この「散る=死ぬ」ということが、新しい生命を育み地球の美しさを支えているのです。
 
そもそも生物はなぜ絶滅するのか
・過去、地球には5回の生物の大量絶滅がありました。もっとも最近の大量絶滅は、約6650万年前、中生代白亜紀末期の大絶滅です。恐竜など生物種の約7割が地球から消え去りました。さらに遡って古生代末期(2億5100万年前)には、なんと生物の約95%が絶滅したと言われています。これらはいずれも、隕石の落下や火山の噴火などの天変地異が原因と考えられています。
・多様な個体が多様な集団を作り、多くが絶滅する中でたまたま生き延びた集団があったというわけです。そしてその環境から、また新たな生物の多様性が生まれていきます。この「多様化‐絶滅」の関係、言い換えれば「変化‐選択」のサイクルのおかげで、私たちも含めた現存の生き物が結果的に誕生し、存在しているのです。これはつまり、ターンオーバーに次ぐ2つ目のポイントである「進化が生き物を作った」ということですね。生物を作り上げた進化は、実は〈絶滅=死〉によってもたらされたものです。
 
そもそも生物はどのように死ぬのか
・生物種によってそれぞれ死に方は異なりますが、簡単にまとめると、小さい生き物は逃げること、つまり「(他の生き物から)食べられないことが生きること」、一方、比較的大きな生き物は自分の体を維持するために、「食べることが生きること」ということになります。また、死に至る過程を見てみると、人間に飼育されている動物以外は、人間のような長い老化期間はなく、生殖というゴールを通過すると寿命がきてピンピンコロリと死ぬことがほとんどです。プログラムされた積極的な死に方にも見えます。
・生き物が誕生してから、長い時間をかけて多様化してきましたが、多様化したのは形態や生態だけではありません。その生きざまに応じて死に方も多様化し、進化してきたのです。 生き物によって違いはありますが、このような死に方は、生き残るために進化していく過程で「選択された」ものだということは共通しています。
 
そもそもヒトはどのように死ぬのか 
・まず、日本人の寿命の変遷を見てみましょう。旧石器~縄文時代(2500年前以前)には、日本人の平均寿命は13~15歳だったと考えられています。この時代のヒトの平均寿命が他の霊長類(サル)よりも短いのは驚きです。弥生時代に入ると、平均寿命は20歳、人口は急激に増加して60万人とも推定されています。それから寿命はしばらく横ばいで、奈良時代以降は少しずつ延びていきました。平安時代には平均寿命は31歳、人口は700万人になりました。ただ、続く鎌倉、室町時代には気候変動による不作や政治の不安定化、それに連動して「いくさ」などが頻繁に発生し、平均寿命はまた20代に逆戻りしました。室町時代の平均寿命はなんと16歳です。その後、江戸時代に入ると社会情勢は安定して、さまざまな文化が花開きました。平均寿命も38歳まで延び、有名な人物では徳川家康は73歳まで生きています。 明治、大正時代の平均寿命は、それぞれ女性44歳、男性43歳と延びました。戦争中は31歳となりましたが、戦後は順調に回復し、70年後の現在(2019年のデータ)では、女性87・45歳、男性81・41歳で過去最高を記録しました。最近100年間で寿命がほぼ2倍に延長したわけです。こんな生物は、他にはもちろんいません。そしてその変動の理由は、生理的なものではなく主に社会情勢に大きく影響を受けてきたわけです。
・戦後、日本人の平均寿命が延びた大きな理由の一つは、乳幼児の死亡率が低下したからです。その主な要因は、栄養状態が良くなったことと公衆衛生の改善です。栄養状態は子供の免疫力を高め、病気になりにくくなりました。公衆衛生の改善は、それまでヒトを苦しめていた伝染病を減らしました。
・そして、2020年に100歳以上の日本人の数が8万人を突破し、毎年急速に増え続けていますが、115歳を超えた日本人はこれまでたったの11名、全世界でも50名にも満たないのです。このような統計をもとに分析すると、ヒトの最大寿命は115歳くらいが限界だろうと言われています。逆に言えば、この年齢までは生きられる能力があるということです。
・現代人の死に方は、アクシデントで死ぬ、あるいは昆虫や魚のようにプログラムされた寿命できっちり死ぬのとは違い、「老化」の過程で死にます。老化は細胞レベルで起こる不可逆的、つまり後戻りできない「生理現象」で、細胞の機能が徐々に低下し、分裂しなくなり、やがて死に至ります。細胞の機能の低下や異常は、がんをはじめさまざまな病気を引き起こし、表面上はこれらの病気により死ぬ場合が多いのですが、大元の原因は免疫細胞の老化による免疫力の低下や、組織の細胞の機能不全によるものです。


そもそも生物はなぜ死ぬのか
・生き物にとって死とは、進化、つまり「変化」と「選択」を実現するためにあります。「死ぬ」ことで生物は誕生し、進化し、生き残ってくることができたのです。 化学反応で何かの物質ができたとします。そこで反応が止まったら、単なる塊です。それが壊れてまた同じようなものを作り、さらに同じことを何度も繰り返すことで多様さが生まれていきます。やがて自ら複製が可能な塊ができるようになり、その中でより効率良く複製できるものが主流となり、その延長線上に「生物」がいるのです。生き物が生まれるのは偶然ですが、死ぬのは必然なのです。壊れないと次ができません。つまり、死は生命の連続性を維持する原動力なのです。本書で考えてきた「生物はなぜ死ぬのか」という問いの答えは、ここにあります。「死」は絶対的な悪の存在ではなく、全生物によって必要なものです。生物はミラクルが重なってこの地球に誕生し、多様化し、絶滅を繰り返して選択され、進化を遂げてきました。その流れでこの世に偶然にして生まれてきた私たちは、その奇跡的な命を次の世代へと繋ぐために死ぬのです。命のたすきを次に委ねて「利他的に死ぬ」というわけです。
健康寿命が延びて理想的な「ピンピンコロリの人生」が送れたとしても、やはり自分という存在を失う恐怖は、変わりありません。ではこの恐怖を、私たちはどう捉えたらいいのでしょうか? 答えは簡単で、この恐怖から逃れる方法はありません。この恐怖は、ヒトが「共感力」を身につけ、集団を大切にし、他者との繋がりにより生き残ってきた証なのです。人にとって「共感力」は何よりも重要です。そしてこの共感力はヒトとヒトの「絆」となり、社会全体をまとめる骨格となります。ヒトにとって「死」の恐怖は、「共感」で繋がり、常に幸福感を与えてくれたヒトとの絆を喪失する恐怖なのです。また、自分自身ではなく、共感で繋がったヒトが亡くなった場合も同じです。そしてその悲しみを癒す、別の何かがその喪失感を埋めるまで、悲しみは続くのです。


人の未来
・従来のコミュニケーションは、人と直接会って話をするというアナログ的なもので、そこでは、見た目や声の調子、雰囲気が重要な情報源でした。しかしご存知のように、現在のコミュニケーションツールのメインは、スマホやパソコンといった電子媒体です。このデジタル信号情報を介したコミュニケーションでは、単なる情報のやりとりが多く、「心」のコミュニケーションは、たとえ絵文字や画像を駆使しても、どうしても今までとは違ってくる部分が出るでしょう。
・AIは何らかの答えを出してくれますが、問題はその答えが正しいのかどうかの検証をヒトがするのが難しいということです。大切なことは、何をAIに頼って、何をヒトが決めるのかを、しっかり区別することでしょう。私の意見としては、決して「ヒトの手助け」以上にAIを頼ってはいけないと思います。あくまでもAIはツール(道具)で、それを使う主体はリアルなヒトであるべきです。
・そして、私が何よりも問題だと考えるのは、AIは死なないということです。私たちはたくさん勉強しても、死んでゼロになります。一世代ごとにリセットされるわけです。死なないAIにはそれもなく、無限にバージョンアップを繰り返します。限られた私たちの寿命と能力では、もはや複雑すぎるAIの仕組みを理解することが難しくなるかもしれませんね。AIが逆に人という存在を見つめ直すいい機会を与えてくれるかもしれません。生き物は全て有限な命を持っているからこそ、「生きる価値」を共有することができるのです。
・それではヒトがAIに頼りすぎずに、人らしく試行錯誤を繰り返して楽しく生きていくにはどうすればいいのでしょうか? その答えは、私たち自身にあると思います。つまり私たち「人」とはどういう存在なのか、ヒトが人である理由をしっかり理解することが、その解決策になるでしょう。人を本当の意味で理解したヒトが作ったAIは、人のためになる、共存可能なAIになるのかもしれません。そして本当に優れたAIは、私たちよりもヒトを理解できるかもしれません。さて、そのときに、その本当に優れたAIは一体どのような答えを出すのでしょうか?ーもしかしたらAIは自分で自分を殺す(破壊する)かもしれませんね、人の存在を守るために。