生命誌の世界

科学者とは
分からない事を一杯持っているのが、科学者
分からない事を教えてくれるのが、科学者


高校までは、わかっている事を教える教育であり、大学では、分からない事を教えることが重要
常識を疑うことの教育
歴史であれ、医学であれ、どんどん変わっていく、それを疑う前提で考える

 

以下は「生命誌の世界」(中村桂子 NHK出版)からの一部抜粋

デジタル化社会も、先ずは今後どういう社会にしたいかを考えないとダメ

 

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生命誌の研究は、生命観、世界観づくりに生かし、そのような考え方を基にして社会づくりをしていこうというものである。そこでは、生物に関する個別の知識の活用の前にもう一度、社会の基本を確認しなければならない。遺伝子組換え技術もクローン技術も現在のような進歩一辺倒の社会で使うのはまずい。どのような社会にするかを決めてから技術の使い方を決めなければならない。具体的には、進歩一辺倒の大量生産・大量消費型から循環型社会への転換が必要であろう。
しかも、技術からの発想ではなく、人間の側から考え、「一人一人の人間がその一生を思う存分生きられる社会」にしていきたいと思うのである。


そこで、社会としては、誰でも求める基本を支えることに徹するために、「ライフステージ」という言葉を作り出した。これは、胎児期、乳幼児、幼児期、学童期、思春期、青年期、壮年期、老年期として人間の一生を段階的に見ていく見方を表すものである。もう少し別の区切りがあるかもしれないが、要は人間の一生を成長に伴ってある時期に分け、それぞれの時期にしなければならないことは何かを考え、それに見合う社会システムをつくっていくことである。こうすれば、一人一人のニーズに応える社会になるはずである。

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ライフステージという考え方の利点の一つは、健常者と弱者、正常と異常という区別がなくなることである。通常社会の中で弱者とされるのは、乳幼児、老人、身障者などであるが、ライフステージという視点で見ると、これはステージの一つである。一人として、乳幼児、老人、病人にならない人はいない。身障もそうである。いつ誰がどのような状態になるかわからない。このようなステージは必ずあるものとして社会システムを組み立てるのは当然で、福祉社会とあらためていうものではない。


ライフステージ社会は、過程、多様性、質という生物の基本に目を向けることになるので、生産システムも当然生産から消費、廃棄までを含めた循環型になる。

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図の第一象限は経済を追求する現代文明社会、現在はほとんどここで事柄が進んでおり、都市である。それに対して地域性があり、自然が豊かで人情が厚い第三象限は、時に憩う場である。こうして現代社会は、日常のほとんどを第一象限、それに少しのゆとりを与える場としての第三象限で成り立っている。
しかし、地域性や自然を生かしながら、しかも経済性を成立させる産業はないのだろうか。第二象限の農林水産業は明らかにここに入る産業である。ところが農業は第一象限で工業と張り合っていくことを求められている。そのために環境破壊がますます進んでしまう。

もう一つの象限、第四象限は、文明を充分に使いこなしながら、人の心にも配慮するというところで、医療、教育はここに入ると考える。

 このようにして全体に広がった社会をつくっていくには、自然・人間についての知識を充分に生かすこと、また生きものの本質から価値観を探ることが極めて重要だと思う。