日本の知

経済的価値が優先される世の中になって久しいが、経済的でない価値は何か、それをどのように導き出すのか?


 ところで、百姓とは、百人の姓という意味
江戸時代、大工、鍛治も髪結いも僧侶・神職も、医者などに至るまで、農漁業をベースにそれ以外の様々な業が出来る人、あるいはその集団が百姓
 人体は、水、塩、そして酸素、日光がベースである。そして、農業は食べる事、心体のエネルギー源。健康であるが故に、百姓になり得る。

植物は光合成を行い、水を酸素と水素に分解し、水素をエネルギーとして栄養を蓄え成長する。人間は水を酸素と水素に分解できない。それ故、植物、動物を食し消化、吸収する長いの過程の中で最終的に水素を作り出しエネルギー源として細胞をつくる、再生することにより生きている。

真の食材、そして健康は、そもそも自然とともにある、自然農から生み出される。例えば、フィトケミカル(植物由来化学物質)、バイオフィリアなどはまさにこれから研究、開発される分野であろう。

日頃食べている食材には、食品添加物が含まれるが、それは、長持ちさせる、美しく、綺麗に見せる、遠くに運ぶためにあるが、食の基本は、季節のものを、新鮮な状態で食すことであろう。
一方で食以外の文化、あるいは伝統的な分野こそ、長持ちさせる、美しく、綺麗に見せる、が重要である。


 多くの分野におけるその道の達人、所謂、百姓が集まり集うコミュニティは刺激に満ち溢れるであろう。
昨今よく言われるウェルビーイング(Well-being)であるが、
・元気にいる → 健康
・居場所が多い → 楽しい、やりがい
・社会とのつながり → コミュニケーション、共同、協力、支援 など

そこにこそウェルビーイングが生まれるのでは。
そして、最終的に次に何を創り出していくべきか、何を情報発信していくべきか、それは所謂、百姓が集まり集うコミュニティでの情報交換から生まれるのではないだろうか。