原点回帰と日本ルネッサンスの処方箋

更新しました。4/22

 

はじめに

「名こそ惜しけれ」の精神 -日本人とは何か-

今の日本が直面する課題 「少子・高齢化」への対応

 

司馬遼太郎は、晩年、「この国のかたち」連載の中で、「名こそ惜しけれ」という考え方が日本人の倫理観の元になっていると述べている。「自分という存在にかけて、恥ずかしいことはできない」という意味であり、武士道として日本人のルーツとなり背景となる心の持ち方である。鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころとする“百姓“の政権でそれが誕生した。
今後の日本は世界に対して、いろいろなアクションを起こしたり、リアクションを受けたりする。その時、「名こそ惜しけれ」とさえ思えばよい。ヨーロッパで成立したキリスト教的な倫理体系に、このひとことで対抗できる。
立憲国家は、人々、個々の強い精神が必要なのです。私ども日本社会は武士道を土台としてその“義務“(公の意識)を育てたつもりでいた。しかし、戦後日本はまだまだできていません。
いまこそ、それをもっと強く持ち直して、さらに豊かな倫理に仕上げ、世界に対する日本人の姿勢を、あたらしいあり方の基本にすべきではないか。


日本の歴史において、いくつかの重要な形成期がある。武士が誕生した鎌倉時代、食、文化、芸能が一気に形作られた室町時代、そして明治維新。これまでの100年強の間、日本の良さ、豊かさが少しずつ変わっていったような気がします。それは何か?、場合によっては、もう一度、取り戻した方がよさそうなものがいくつもあるような気がする。
難しい気がしないでもないが、、何かやりたい、「原点回帰」!

 

第1章 原点回帰

 

1  一極集中から地方分散へ

新型コロナだけが、密から疎、集中から分散へのトリガーではない。

地震、火山噴火、台風による洪水・土砂崩れなどの災害、それと今まさに直面している新型コロナなどの感染、伝染、流行、さらには地球的規模で拡大するパンデミック、これら自然現象や人為的な原因によって、人命や社外生活に被害が生じる事態はいっこうに減らない。


さらに中長期的には、地球全体の気候変動である温暖化対策を取らなければならない。
二酸化炭素、メタンガスなどの温室効果ガスの排出源割合では、電力は全体の25%に過ぎない。その他、農業・畜産が24%、製造業21%、交通・運輸14%、ビル6%など多岐にわたるため、それらに対し多種多様な対策が必要となる。従って、今後はグリーンテック利用による社会システム導入も必須とならざるを得ない。


戦後の高度成長時代の中で作り上げてきた経済至上主義における一極集中は見直さざるを得ない。

 

2  コミュニティ活性化

経済至上主義は、一極集中と同時に、従来の三世代家族・大家族から核家族・共働きをもたらした。
それが今では、待機児童、高齢者単独世帯、結果としての高齢者の認知症の増加へとつながる。
歳を取っても友人や社会とのつながりを保ち、社会的存在としての自分の居場所を確保すること、そして自分の役割を持ち続けることが最大の認知症予防になる。


国連の持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)は今年3月20日、2020年版の「世界幸福度報告書」を発行し、世界幸福度ランキングを発表した。首位は3年連続でフィンランド。日本は2018年の54位、2019年の58位からさらに4位後退し、2020年は62位となった。日本人として非常に残念な結果である。
また、国連の幸福度調査とは別に、内閣府が2019年5月に公表した、日本人の満足度・生活に関する調査がある。これも、国連の幸福度調査と同様、0から10までの11段階で満足度を測っている。
国連調査の日本人の幸福度スコアは5.886で、内閣府の満足度スコアは、5.89とほぼ同じ。ある意味、これら幸福度と満足度はほぼ同じのようなことを表しているのであろう。
さらに、この内閣府の満足度の詳細分布を見てみると、頼れる人が3人いる人では満足度は6.04。頼れる人が5人の場合は6.45、頼れる人が30人いる人ではなんと7.78となり、定義は違うが、これは世界幸福度1位のフィンランド(幸福度スコア:7.769)をも凌ぐ。
人間関係が希薄化してきたとされる日本において、頼れる人を増やすことにより、「共存」、「お互い様」の精神を取り戻すことが非常に重要である。

 

3  居住地は、旧国道、鉄道本線をベースに

日本は古来より、幾多の災害を経験してきた。その一方で、島国として豊かな自然に恵まれ、四季折々を感じながら、自然との共存において生活してきた。
人々が生活する居住地はこれまでの災害の経験に基づき自然との共存の中で築いてきたはずである。その居住地を結んだのが、国道であり、鉄道の本線である。その後の鉄道支線、新幹線、さらには高速道路の建設は、トンネル掘削など高速移動を目的としたインフラである。
やがて、人々は従来では想定し得なかった場所への居住地の開拓をしていったのであるが、それは長期の歴史の中で本当に安全かつ住みやすい場所であるか否かは未だ明らかにされていない場所も多々あるものと考える。
密から疎、一極集中から分散への社会インフラ整備では、もう一度、歴史を振り返り、居住地域を見定める必要がある。
 

4  日本の自然を次世代へ

日本の食料自給率は、これまでの50年間において73%から37%へと急落してきた。中でも、小麦、大豆、とうもろこし、米などの主食材料は米国を筆頭にほぼ輸入依存となっている。高度経済成長において工業国となった日本は、米国などとの輸出入バランス交渉の中で、米国からの主食材料を大幅に増大させた。また、これらの食料を米国一国に大きく依存する事自体、リスクが極めて高い。
島国である日本は、森林を林業という生業の中で守り、その森林により豊かな海を作り出すことにより漁業をおこなってきた。
当然のことながら、全国津々浦々の平野においても必要とする穀物、野菜、肉、果物などを作り、それを継続することにより、大地の土壌を次の世代に引き継いでいくべきものである。
 

第2章 日本ルネッサンスの処方箋

 

1  日本ルネッサンスとは

戦後、日本で失われたものはいくつかあるが、中でも、自然、そしてもう一つは、家庭の温もり、家の温もりではないか。家庭に温もりがあったからこそ、学校をはじめとする社会活動における様々なコミュニティにおいても、温かみ、温もりがあったのだと思う。


日本が目指す社会、それは迷う事なく、デジタル化社会である。但し、次の2つがベースです。
・自然との折り合い
・生命体としての人間と生態系との折り合い

 

2  デジタル化の本質

デジタル化&AIを本気で適用するということは、スケールがどんどん小さくなるということに他ならない。データを駆使して見出すものがそのものの本質であるからには、当然であるがスケールとは縁遠い。未来はともかくとして、デジタル化を利用するものは、スケールメリットを犠牲にすることでもある。
例えば、新しい街づくりにおいては、教育、医療、文化・芸術施設などを中心とした規模の小さな、しかしそこには特徴のある街を構築する。そして、街と街をモビリティで繋ぎ合わせるという、街の集合体の構築が一つのモデルになり得るかも知れない。


一方、産業は、従来の枠を越え統廃合がおこるものと予想される。今の時代、明らかに供給過多、需要不足、いや、需要不明とも言える。
GAFAが勝ち組となった広告、ECのビジネスは全体の約7%程度に過ぎない。これからはサプライチェーン全体の中でデジタル化をどう進めるかが勝負となる。


デジタル化社会では、プラットフォームが極めて重要となる。しかしながら、データのオープン性、シェアリングが大前提となる。

 

3  社会インフラの再整備

明治以降、日本のインフラ整備は、道路、鉄道が起点であった。
これからのデジタル化社会では、デジタルデータ・インフラが起点となる。
現在整備中の5Gモバイルはもちろん重要であるが、今後の対応ではそれに加え、光ファイバーネットワークのさらなる整備がより重要となる。モバイルサービスに利用可能な周波数には制限があるため、モバイルはあくまでもアクセスネットワークとして利用し、地域、及び全国の基幹ネットワークは大容量の光ファイバネットワークとして再整備することが喫緊の課題である。この光ファイバネットワークは将来的には、量子通信ネットワークとして利用することにもなる。


今後のモビリティ、医療、などの分野ではとりわけ低遅延でのデータ処理が必須となる。そのためにも、中央のデータセンターだけではなく、エッジでのマイクロデータセンターが必要となる。インターネットを含めたこれらネットワーク整備では、ますますセキュリティが重要となっていく。


データセンターを含むデジタルデータ・インフラ整備面においても、今後、一極集中から分散への転換点である。

 

4  デジタルの活用

IDをマイナンバーカードに統一すべきである(マイナンバーではない)。これは一刻も速く実施する必要がある。それと、国民誰でも利用可能なメッセンジャーを整備。デジタル化社会とはそういうものであり、議論の余地は無い。
また、日本人以外に、在留外国人、さらには観光客についても日本への入国をトリガーとし、社会生活、滞在において必要となる情報が行き渡るようにする必要がある。
これからの整備では、中長期的にスマホの次も意識した、ID、メッセンジャーの利用をも検討、整備推進すべきである。とりわけ、メッセンジャーは、広い意味において、人間の他、すべてのIoTも対象とすることになる。

 

5  Opt-in、Opt-out原則

お互い様、信用、信頼の和がベースとなる。そんな信頼できる者同士の和では自然にお互いの個人情報をも共有することにより助け合うコミュニティとなるであろう。そのようなコミュニティがさらに別のコミュニティと接続し、コミュニティの輪が広がっていく。そこでのデータプラットフォームにおいて、オープンAPIの定義が必要となる。

 

人間の集まりの中では、はじめは2:6:2での意見割合になるであろう。その場合においても、先ずは2割の輪を作れば良いと思う。それが次の段階で6割の人を巻き込んだ輪に成長する。そしてさらに増えていく。


データを利用することの事前同意、つまりデータのOpt-inは当初、決して強制するものではなく、時間はかかるが、このようなコミュニティの輪を広げていく経過を辿ることにより、参加者の理解、納得を得るべく整備されるべきだとも考える。勿論、退出機能であるOpt-outも当初から取り入れるべき機能となる。


もしかしたら、これが日本式デジタル化社会の作り方なのかもしれない。小さなコミュニティの和をいくつもいくつも繋げていく。日本人にはこれがしっくりくる気がする。

 

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日本社会において、人はどこに住んでいても、多面性も持つ。ある時は自治体職員、企業人、様々なコミュニティでの一員、そしてその地域での住民である。
これからの新たな街づくりでは、デジタルデータをベースに、教育、医療、モビリティをインフラとして整備していく。そして、その地域の歴史、文化、伝統、芸能、あるいは衣食住の本質的な価値を見出し事業を興していく。


都市だけに住むブレードランナーではなく、風に谷に、そして人間中心ではなく、自然との共存の中で生きていく、本来の日本人の生き方が生まれ、それを世界に発信していくことを願いたい。


現実を直視し、歴史を振り返り、そして真実を見出す。今の我々日本人に最も求められることである。
これからもっともっと仲間を見つけ、以上の具体策を推進していきたい。