自己を、よりどころに

日本は古くは飛鳥時代に、神道に加え、あらたに仏教を受けて入れた。
自分は宗教を信仰する者ではないが、とは言え、宗教の意味するところの解釈は、人それぞれであっても何も問題ないと思う。
僭越ながら、、

神道は神のもと、自然との共存の中で、人々が協調して生きていくことであり、一方、仏教は現実を客観的に見て、自己を見つめ、自己をよりどころとする教えであると思う。

仏教が個人宗教であり、神道は共同宗教とも思える。


古来より仏教は疫病と深い関わりがある。
7世紀に天然痘が蔓延し、その克服はつい最近の1980年である。別名 かさ、かさぶた、とも言う。また、蚊の媒介によるマラリア、これも奈良時代に発生し、戦後まで続く。フィラリア、腸チフスもまたこの時代である。
そもそも、僧侶は大概、医者だったこともあり、そこから仏教とのつながりも生まれる。疫病はまさに個々人の戦いであり、一人一人が疫病とどのように対峙していくかということにおいて教えを受けた。
一方、災害では被災した者をいかに助けるかという集団での対抗になり、そこには神道の教えが生活の中で活きることになる。
例えば、国全体に疫病が蔓延した時、疫病に対する個々人の戦いの上で国家が網羅的に対抗する、ここに仏教と神道の両立が存在し得たのではないかとも考える。


昨今のコロナ禍において、これはまさに全ての人が、かつ同時に、それぞれでの個々人の戦い。自分も含め日本人はこの対応が少し苦手なような気もする。

国家レベルでの対抗も勿論必要であるが、そこ前に先ずは、現実を客観的に見て、自己を見つめ、自己をよりどころにすることが何よりも大事なことのような気がした。

近年、我々がこれまでの生活の中で、忘れかけていたことかも知れない。