「この国のかたち」物語の想像

「この国のかたち」という問を立て、物語を想像することにした。

この2ヶ月間、多くの著名人の方々の言葉を受け、歴史観、世界観を次の3つにまとめたので、紹介します。

物語の想像が終わりましたら、また紹介します。

 

「精神」

司馬遼太郎は、晩年、「この国のかたち」連載の中で、「名こそ惜しけれ」という考え方が日本人の倫理観の元になっていると述べている。「自分という存在にかけて、恥ずかしいことはできない」という意味であり、武士道として日本人のルーツとなり背景となる心の持ち方である。鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころとする“百姓“の政権でそれが誕生した。
今後の日本は世界に対して、いろいろなアクションを起こしたり、リアクションを受けたりする。その時、「名こそ惜しけれ」とさえ思えばよい。ヨーロッパで成立したキリスト教的な倫理体系に、このひとことで対抗できる。
立憲国家は、人々、個々の強い精神が必要なのです。私ども日本社会は武士道を土台としてその“義務“(公の意識)を育てたつもりでいた。しかし、戦後日本はまだまだできていません。(司馬遼太郎 文章引用)
いまこそ、それをもっと強く持ち直して、さらに豊かな倫理に仕上げ、世界に対する日本人の姿勢を、あたらしいあり方の基本にすべきではないか。


江戸時代には、林羅山の神儒合一論に代表されるように、時の将軍は天皇の大御宝である庶民を預かっているという立場、という思想が礎となっている。庶民は決して、私的な私有民、言い方を変えれば、奴隷ではないという事である。
江戸後期、日本は既に金貨を使用していたが、年貢は米である。これはなにわともあれ、災害時には、先ずは食料が必要である。米は唯一の保存食であり、3年保存可能であるため、日常の生活では3年前のものから食べ、いざと言う時に備え食料として備蓄していた。その備蓄場所として利用されていたのが神社である。神社はそれが故に、高台かつ高床式で建築されていた。
日本の各藩の藩主は庶民に年貢米を課す一方において、いざという時に庶民に与えるために米を管理していたのである。


戦争については諸説があるが、明治以降の戦争においても、日本は他国を奴隷化したことはないと思っている。日本には、奴隷という精神はない。故に、日本の国民は国のために為す、のかも知れない。


「戦いの歴史」

そもそも人はなぜ戦ってしまうのか。
縄文時代は狩猟採集文化であり、自分のことも生態系の中で位置付けており、食べる分だけ猟をする。狩猟生活の時代には、人口も少ないし、四季折々の恵みもあるので何かが不足しても別のものでカバーすることもできた。
日本列島において集団的な戦いが始まったのは、朝鮮半島から渡ってきた人々が稲作文化を広めた弥生時代だと言われている。水耕農耕のノウハウや技術とともに戦いの思考も携えてきた。それがなぜ分かるかというと集落の周囲に防御のための壕(ほり)が巡らされていた。世界的に農耕が始まると、人は戦いを始める。定住することで、水や土地などの不動産が生まれ、干ばつや飢饉の時には、不動産を巡る争いが生じる。生活が安定することで寿命も延び、子供も増える。人口が増えるとより広い農地も必要となり、隣から奪うしかないということになる。農耕が一つの植物を徹底的に管理し、生態系の外側で支配することで、人間中心の世界観が築かれやすい。そして、他者をも支配する世界観にもつながっていく。(国立歴史民俗博物館教授 松木武彦 文章一部引用)


こうした戦いの歴史は、その後も鎌倉時代室町時代を経て、戦国時代へと続いていく。
戦国時代は、時を同じくしてヨーロッパ人がアフリカ、アジア、アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代でもある。15世紀半ばから17世紀半ばまで続き、主にスペインとポルトガルにより行われた。
スペインは宣教師を介し日本の征服計画を企て、織田信長に接近し、武器供与との引き換えによりキリシタン布教を拡大していった。戦国の流れは豊臣秀吉から徳川家康へと続く。豊臣秀吉はスペインから武器を、徳川家康はオランダで設立されたオランダ東インド会社経由にて大砲を含む武器を調達した。この戦いは最後に大阪城決戦となり徳川軍が勝利した。この時、オランダの狙いは日本の銀の獲得にあった。石見銀山(鳥取県)、生野銀山(兵庫県)などで採取れた日本の銀は一時期、世界の約1/3の生産量を誇った。戦いの中で、オランダは武器との引き換えにより日本の銀を大量に獲得した。これをきっかけに、オランダはやがてスペインに代わり世界の覇者となる。
また、江戸時代後期、日本は前述の銀同様、世界の約1/3の金を保有していた。佐渡金山が有名である。黄金の国ジパングと言われるが所以である。江戸幕末期には幕府軍と討幕軍の戦いとなるが、この時は英米が古い兵器を日本の両軍に売り付け、日本の金を根こそぎ奪取していったのである。
日本における戦いの歴史、それは日本の大地に眠る宝物を次々と失っていった歴史とも言える。
こうした歴史観において、未だ未開とされる日本の海洋資源レアメタルレアアースなど、これらこそ日本のこれからの物語を想像するために極めて大事になるのではないのか。加えて、それらを有効にかつ大切に扱っていきたいとも思う。


「資本主義経済のゆくえ」

資本主義経済は企業が自己資本を使い利潤を追求することである。18世期後半のイギリスでおきた産業革命をきっかけに成立した。その中で、銀行は信用創造により貸し付けを繰り返すことにより実際に受け入れた預金額の何倍もの預金通貨をつくりだした。
このことにより、企業は、成長を続け競争優位を獲得する上で、事業の規模拡大、迅速性を必然的に持たざるを得ない宿命となった。
結果として、資本主義経済は規模、スピードの論理により、やがて農業から工業、そしてサービス産業へと変貌を遂げていく、あわせて国内からグローバル市場へと推し進められた。


現在では、膨大な量の通貨が流通しているが、実は、実体を持った現金はごくわずかなものに過ぎず、残りの大半は銀行のコンピューターの中に数字の形でのみ存在している。日本においては、現金は通貨全体の8-10%程度に過ぎない。
つまり品物やサービスに関わる実体経済の通貨よりも、金融市場で一部の巨大機関投資家の間を回る通貨が実に100倍もの規模に膨れ上がっている。


振り返ってみれば、現代社会の富というのは、昔の時代からの伝統や習慣で長期的に整っていた社会生活のシステムが壊れて縮退する過程で、引き出されているのかも知れない。
1960年代頃からの「止まれない」指数関数的な規模増大は、もっぱら量的拡大によってもたらされ、石油の消費量はそれをきれいに反映していた。しかしながら、90年代以降においては、単純な消費の量的拡大に需要の主力は依存しなくなっている。


これまでの資本主義経済活動において、大量消費によるゴミ問題、それはやがて地球全体の環境問題へと拡がり、それと同時に、産業のグローバリゼーションは人々に格差問題を突きつけている。
この先、資本主義はどこに向かうのか、あるいはどこに向かわせるべきなのか?
これまでの短期的願望を達成するためだけではなく、持続する社会生活システムの中で、長期的視点に立ち、新たな可能性という概念を想像することが重要かも知れない。

(長沼伸一郎 文章一部引用)